top of page

●クソでもブスでも世界を変えたい

Xジェンダーとは、性自認が「中性」「無性」「男性でも女性でもない」「男性でも女性でもある」状態を指す言葉だ。

性別は男性と女性とその間にある無数のグラデーションで成り立っているのだ。だから、世の中には、「男らしく」も「女らしく」も違和感のある人がいる。その人たちにとって、「Xジェンダー」という言葉は可能性を持っていると思う。

かく言う僕も男らしくも女らしくもできない人間だ。恋愛志向は女性が好きだが、性自認は揺れ続けてきた。

大森靖子が「ドグマ・マグマ」の冒頭で、「むかしむかしあるところに男と女とそれ以外がいました」と歌う「それ以外」は、LGBTやXジェンダーを指しているはず。そして、彼女がその後に「いつもいつもことあるごと それ以外はなかったことにされました」と歌っているのも大切なポイント。

今の日本の世の中は、システムに従順な方が生きやすい。その是非は置いておくとして、学生運動が盛んだったのは遥か昔。為政者が中心となって皆で作ったシステムの中で逆らわずに安穏と暮らしていた方がより生きられる時代なのだ。

「システム一つ作るごとに
 マイノリティも作った罰として

 死んだ目をしたジャパニーズ
 死ねば死ぬほど生きられる時代」

大森靖子はこのたった四行の歌詞で日本の今の状況を言い当てている。

そして、この後に続くのは「クソでもブスでも 世界を変えたい」という歌詞。とても勇気づけられる。

システムを一つ作るごとに作られたマイノリティとして、大森靖子はLGBTやXジェンダーの他に人種のことも指摘している(「白黒黄色それ以外がいました」)。世の中には、ハーフ(ダブルと自称することも多い)の人だって多いはずなのに「人種」というシステムによってなかったことにされている。

YESとNOの間には無数のグラデーションがあるのだ。その無数のグラデーションを全て「YES」と「NO」で一緒くたに表すのは、グラデーションの一つ一つを排除する思想だ。この思想によって、戦争だって生まれる。なぜならば、戦争は自分達と違う属性の人間を属性で一括りにして攻撃し、排除しようとする行為だからだ。だから、「ふぁっくALLにするから"戦争"なんでしょ」と彼女は歌うのだ。

そして、「バラバラハートであいらぶYOU/らぶALLできないから無限にあいらぶゆーを重ねるスタンス」と歌う。そんなスタンスは実際には無理だ。だが、それを実現しようとするのが大森靖子の思想なのだ。彼女は自分に送られるダイレクトメールの一つ一つに目を通し、返信をしているという。リスナーを"ALL"として向き合うのではなく、バラバラな個人として向き合う姿勢に感動する。

そう、「無限にあいらぶゆーを重ねるスタンス」とは、まさに「GOD(神)」のスタンスのこと。彼女は「誰でもなれますGOD」と最後に歌ってリスナーを鼓舞する。誰だって、自分のことを神だと思うことができる。自分のことを神だと思うということは、システムに従って死んだ目で生きるのではなく、個々人が個々人として生き生きと息することだ。それによって、革命だって可能なのだ。なぜなら、システムは無限の個人によって打ち消すことが可能だからだ。

国籍、人種、ジェンダーなどあらゆる属性の共同体が抱える欺瞞を彼女の歌は攻撃する。共同体からこぼれ落ちる者たちに対する確かな視線を彼女の歌からは感じ取れる。どんな人間でも属性で一括りにせず一対一で向き合うのが彼女の姿勢だ。

共同体には居心地の良さがある。男性や女性、日本人という括りに自分を当てはめた方が生きやすい。その括りから外れようとすると寂しい思いや孤独感を抱えることになってしまう。しかし、大森靖子は女神として、そういった孤独を抱える人間を救おうとする。僕も彼女の歌を聴いている間はその孤独を忘れることができる。

これほど強い思想をはらんだ強い歌が、今のJ-POPのシーンにあるだろうか。大森靖子は付和雷同的なシーンに対して一石を投じたといってよいだろう。彼女には革命を起こしてほしいし、革命は現在進行形で進んでいると思う。

「ALL」として、一つになりたい?
決められた属性の中に人間を閉じ込めたい?
いや、僕らはバラバラのままで愛し合おうよ。

Xジェンダーという概念と大森靖子の「ドグマ・マグマ」は一つの重要な示唆を与えてくれる。

bottom of page